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大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)6220号 判決

原告

藤野艶子

ほか一名

被告

山口実

ほか三名

主文

被告山口実、同山口武志、同岩井洋、同佐々木は、各自、原告藤野艶子に対し、金五八五万七二四四円(ただし、被告山口実、同山口武志は金五一五万七二四四円)及びうち金五三五万七二四四円(ただし、被告山口実、同山口武志は金四六五万七二四四円)に対する昭和四七年四月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告篠原頼乎に対し、金三二〇万〇六五五円(ただし、被告山口実、同山口武志は金二七〇万〇六五五円)及びうち金二九〇万〇六五五円(ただし、被告山口実、同山口武志は二四〇万〇六五五円)に対する前同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告らに対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告藤野艶子と被告山口実、同山口武志、同岩井洋、同佐々木との間に生じた分は、これを五分し、その三を同原告の、その余を右被告四名の各負担とし、原告篠原頼乎と被告山口実、同山口武志との間に生じた分は、これを二分し、その一を同原告の、その余を右被告両名の各負担とし、同原告と被告岩井洋、同佐々木との間に生じた分は、これを五分し、その二を同原告の、その余を右被告両名の各負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは、各自、原告藤野艶子に対し、金一三七五万四九四六円及びうち金一二七五万四九四六円に対する昭和四七年四月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告篠原頼乎に対し、金五〇三万一六六八円及びうち金四五三万一六六八円に対する前同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら全員)

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四七年四月六日午前一〇時二四分ごろ

2  場所 徳島県三好郡池田町字イタノ三三一八番地先道路上

3  加害車 (一)被告山口武志(以下「被告武志」という。)運転の軽四輪乗用自動車(八徳え八四七一号)以下「甲車」という。)

(二)被告岩井洋助(以下「被告岩井」という。)運転の普通乗用自動車(泉五五す五四三九号)(以下「乙車」という。)

4  被害車 原告ら(いずれも甲車に同乗していた。)

5  態様 本件事故現場付近の道路を池田市方面から高知市方面に向かい進行していた甲車が、同一方向に進行中の訴外川西恵子(以下「訴外川西」という。運転の軽四輪貨物自動車(以下「川西車」という。)を追い越そうとした際、反対方向から進行してきた乙車と衝突し、更に、川西車とも衝突した。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

(一) 被告武志は、被告山口実(以下「被告実」という。)の子で事故当時被告実と同居していたものであるところ事故当日被告実から同被告所有の甲車を借り受けて運転中本件事故を発生させたものであるから、被告実、同武志は、いずれも甲車を自己のために運行の用に供していた者として、自賠法三条の責任を負う。

(二) 被告佐々木稔(以下「被告佐々木」という。)は、自動車修理販売店を経営しており、被告岩井から新車を買い入れたい旨の申込を受けたが、新車が手元になかつたので、それが入手できるまでの間自己所有の乙車を代車として被告岩井に提供していたところ、被告岩井が同車を運転中本件事故を発生させたものであるから、被告佐々木、同岩井は、いずれも乙車を自己のために運行の用に供していた者として、自賠法三条の責任を負う。

2  一般不法行為責任(民法七〇九条)

(一) 被告武志は、本件道路を時速約四〇キロメートルで進行中川西車を追い越そうとしたものであるが、当時は雨が降つていたうえ、事故現場付近の道路が曲折していて、対向車の有無を確認するのが困難な状況はあつたのであるから同所での追越を回避するか、あるいは、少なくとも対向してくる乙車を認めた際直ちに追越を断念し、もつて事故の発生を未然に防止すべきであつたのにこれを怠り、漫然時速約五五キロメートルに加速して追越を開始し、かつ続行した過失により、本件事故を発生させた。

(二) 被告岩井は、本件道路を時速約六〇キロメートルで進行していたものであるが、事故現場付近の道路が曲折していて、対向車の有無を確認するのが困難であり、しかも、当時は降雨のため路面が滑りやすい状況にあつたのであるから、対向車との衝突を未然に防止するため、絶えず前方を注視するとともに、完全な速度及び方法で自車を進行させるべきであつたのにこれを怠り、前方注視不十分のまま漫然前記速度でセンターラインを越えて進行した過失により、対向してきた甲車を発見しあわてて急制動の措置を講じたものの、かえつて自車を更に右側に滑走させる結果となり、本件事故を発生させた。

三  損害

1  原告藤野艶子(以下「原告藤野」という。)

(一) 受傷、治療経過等

(1) 受傷

左大腿骨頸部、骨幹部骨折、左鎖骨骨折、左下涙小管断裂、顔面挫傷、胸部打撲

(2) 治療経過

入院 昭和四七年四月六日から昭和四八年一月一二日まで(徳島県立三好病院(以下「三好病院」という。)

通院 三好病院退院後現在に至るまで、ほぼ一日おきに大阪厚生年金病院に通院している。

(3) 後遺症

左股関節運動障害(後遺障害別等級表一〇級一〇号該当)、左膝、足関節機能障害(同表一二級七号該当)、涙管障害(同表一二級二号該当)、左鎖骨骨折部突出変形(同表一二級五号該当)等の後遺障害が残つた。

(二) 治療関係費

(1) 入院諸雑費 二六万〇〇八〇円

生活の本拠たる大阪から遠く離れた地での長期入院を余儀なくされ、入院中一日五〇〇円の割合による合計一四万一〇〇〇円の入院雑費を要し、また、輸血者に対する謝礼金として一一万九〇八〇円を要した。

(2) 入院付添費 五二万四六三三円

入院中合計二〇二日間付添看護を要し、付添をした家政婦に対し、五二万四六三三円を支払つた。

(3) 交通費 三万三七三〇円

三好病院退院の際、自宅までの交通費として九三〇〇円(同病院から高松空港までのタクシー代四四〇〇円、同空港から伊丹空港までの航空機代三六〇〇円及び同空港から自宅までのタクシー代一三〇〇円)を要し、また、大阪厚生年金病院に通院する際(ただし、昭和四八年一月から同年一二月二八日までの分)の交通費として二万四四三〇円(タクシー代四三七〇円及びバス代二万〇〇六〇円)を要した。

(三) 逸失利益

(1) 昭和四九年一二月までの分 三六三万九〇〇三円

原告藤野は、事故当時訴外安田生命保険相互会社(以下「安田生命」という。)及び訴外富士火災海上保険株式会社(以下「富士火災」という。)に保険外交員として勤務し、昭和四六年度においては、安田生命から年間一六四万八四八七円、富士火災から年間五九万八五九九円の各支給を受け、合計二二四万七〇八六円の収入を得ており、事故がなければ、昭和四七年四月から昭和四九年一二月までの三三か月間、少なくとも昭和四六年度と同程度の収入を得ることができたものであるところ(その合計は六一七万九四八六円となる。)同原告は、本件事故により保険外交員としての職務を全うすることができず右三三か月間に、安田生命から二三四万二三二〇円、富士火災から一九万八一六三円の各支給を受けたにとどまつたから、右三三か月間の同原告の逸失利益は、得べかりし収入額(六一七万九四八六円)より現実の収入額(合計二五四万〇四八三円)を差し引いた三六三万九〇〇三円となる。

(2) 昭和五〇年一月以降の分 七二四万七五〇〇円

原告藤野(昭和五〇年一月現在五五歳)の稼働可能期間は、昭和五〇年一月から一二年間で、事故がなければその間前記昭和四六年度の実績(年二二四万七〇八六円)程度の収入を得ることができるはずであつたところ、同原告は、前記後遺障害のため、全稼働可能期間を通じその労働能力を三五パーセント喪失したものであるから、昭和五〇年一月以降の同原告の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると七二四万七五〇〇円となる。

(四) 慰藉料 三〇〇万円

前記の受傷及び後遺障害の程度、治療経過等からすると、原告藤野の慰藉料額は、三〇〇万円を下らない。

(五) 弁護士費用 一〇〇万円

2  原告篠原頼乎(以下「原告篠原」という。)

(一) 受傷、治療経過等

(1) 受傷

左大腿骨粉砕骨折、右下腿骨骨折、頭部外傷Ⅰ型、顔面挫創、左眼水晶体脱臼

(2) 治療経過

入院 昭和四七年四月六日から昭和四八年三月八日まで(三好病院)

昭和四八年八月六日から同年九月一日まで(町田整形外科病院)

通院 昭和四八年四月二三日から同年七月一三日までの間に三九日(大森赤十字病院)

昭和四八年七月一八日から現在に至るまで、ほぼ一日おきに町田整形外科病院に通院している。

(3) 後遺

左眼視力障害(矯正視力〇・五、後遺障害別等級表一三級一号該当)

(なお、視力矯正はコンタクトレンズによつてのみ可能であるが、コンタクトレンズの挿入及び着用の際眼球に劇痛があるため、実際には視力矯正が困難な状況にある。)、左股関節機能障害(同表一二級七号該当)の後遺障害が残つた。

(二) 治療関係費

(1) 治療費 四三万八八七一円

三好病院分 三八万七五〇七円

大森赤十字病院分 九一一九円

町田整形外科病院分 四万二二四五円

(2) 入院諸雑費 二五万二五〇〇円

生活の本拠たる東京から遠く離れた地での長期入院を余儀なくされ、入院中一日五〇〇円の割合による合計一八万二五〇〇円の入院雑費を要し、また、輸血者に対する謝礼金として七万円を要した。

(3) 入院付添費 九四万五〇〇〇円

入院中ほぼ全期間にわたり付添看護を要し、付添をした家政婦等に対し、九四万五〇〇〇円を支払つた。

(4) 交通費 二万六二二〇円

三好病院退院の際、自宅までの交通費として一万〇一二〇円(同病院から阿波池田までのタクシー代一一七〇円、阿波池田から高松まで国鉄利用により一二二〇円、高松空港から伊丹空港までの航空機代三六〇〇円及び新大阪から東京までの新幹線代四一三〇円)を要し、また、大森赤十字病院及び町田整形外科病院に通院する際(ただし、昭和四八年四月二三日から昭和四九年六月八日までの分)の交通費として一万六一〇〇円(タクシー代八五〇〇円及びバス代七六〇〇円)を要した。

(三) 逸失利益

(1) 昭和四八年三月までの分 八七万四三〇〇円

原告篠原は、事故当時五八歳で、篠原洋品店(経営者訴外篠原クマ)に勤務するとともに、篠原家の主婦として稼働し、少なくとも昭和四八年賃金センサス五八歳女子労働者の平均給与額程度の収入を得ていたが、本件事故により昭和四七年五月から昭和四八年三月までの間働くことができず、その間、右平均給与額相当の八七万四三〇〇円の収入を失つた。

(2) 昭和四八年四月以降の分 一〇四万四七七六円

原告篠原(昭和四八年四月現在五九歳)の稼働可能期間は昭和四八年四月から一〇年間で、事故がなければその間少なくとも昭和四八年賃金センサス五九歳女子労働者の平均給与額(年額九三万九三〇〇円)程度の収入を得ることができるはずであつたところ、同原告は、前記後遺障害のため、全稼働可能期間を通じその労働能力を一四パーセント喪失したものであるから、昭和五〇年一月以降の同原告の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると一〇四万四七七六円となる。

(四) 慰藉料 二三三万円

前記の受傷及び後遺障害の程度、治療経過等からすると、原告篠原の慰藉料額は、二三三万円を下らない。

(五) 弁護士費用 五〇万円

四  損害の填補

1  原告藤野

原告藤野は、自賠責保険金一九五万円の支払を受けた。

2  原告篠原

原告篠原は、自賠責保険金一三八万円の支払を受けた。

五  本訴請求

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は、不法行為の日の翌日から民法所定の年五分の割合による。ただし、弁護士費用に対する分は請求しない。)を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一  被告実、同武志

請求原因一のうち1ないし4は認めるが、5は争う。

同二1(一)のうち、被告武志が被告実の子であること及び被告実が事故当時甲車を所有していたことは認めるが、その余は争う。

同二2(一)は争う。本件事故は、被告岩井の一方的過失によつて発生したものであり、被告武志には何ら過失がなかつた。すなわち、被告岩井は、事故現場付近道路が見通しの悪い急カーブになつていたにもかかわらず、高速度(時速六〇キロメートル)で、かつ、センターラインを越えて自車を進行させた過失により、対向車線内を進行してきた甲車に自車を激突させたものである。

同三1のうち(一)は不知。(二)ないし(五)は否認する。三2のうち(一)は不知。(二)ないし(五)は否認する。

同四は認める。

二  被告岩井、同佐々木

請求原因一のうち1ないし4は認めるが、5は否認する。

同二(一)のうち、被告佐々木が事故当時自動車修理販売店を経営していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同二2(二)は争う。本件事故は、被告武志の一方的な過失によつて発生したものであり、被告岩井には何ら過失がなかつた。すなわち、被告武志が川西車の追越を開始した地点は、前方の見通しが悪い場所であり、しかも、同被告は運転免許取得後日が浅いうえ、当時女性三名を同乗させていたのであるから、同被告としては、対向車との衝突を防ぐため川西車の追越を差し控えるべきであつたのにこれを怠り、敢えて追越を行つた過失により、制限速度を守り対向車線内を進行してきた乙車に自車を衝突させたもので、被告岩井としては、甲車を発見した時には既に同車が至近距離に近付いており、道幅も狭かつたことなどからして、甲車との衝突を回避することができなかつたものである。

同三は不知。同四は認める。

第四被告らの主張

一  被告実、同武志

1  運行供用者たる地位の喪失等

被告実は、自宅の向かいに居住する訴外亡柳(以下「亡柳」という。)より同人及び原告らが高知県の龍河洞見物に行くので甲車を貸してもらいたい旨の申出を受けたため、亡柳に甲車を無償で貸与し(なお、その際、亡柳の求めにより、被告武志が右龍河洞見物に行く際の甲車の運転を引受けた。)たところ、事故当日、亡柳及び原告らが甲車に同乗し、被告武志に運転方法を指示しながら右龍河洞見物に赴く途中本件事故が発生したもので、甲車の運行支配、運行利益は、被告実から亡柳及び原告らに移つており、同被告らはいずれも事故当時運行供用者たる地位を有せず、あるいは、少なくとも原告らとの関係では運行供用者責任を負わない立場にあつた。

2  免責

仮に、被告実、同武志が甲車の運行供用者であつたとしても、前記のとおり本件事故は被告岩井の一方的過失によつて発生したものであり、被告武志には何ら過失がなく、かつ、甲車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたから、被告実、同武志には損害賠償責任がない。

3  無償同乗等による減額

仮に、被告実、同武志が損害賠償責任を免れないとしても、前記1記載の原告らが甲車に同乗するに至つた経緯などからして、原告らは右被告両名と共同の運行供用者であつたというべきであり、あるいは、無償で甲車に乗していた者ということができるから、公平上の見地から、損害賠償額の算定にあたり減額がなされるべきである。

二  被告岩井、同佐々木

1  免責

前記のとおり本件事故は被告武志の一方的過失によつて発生したものであり、被告岩井には何ら過失がなく、かつ、乙車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたから、被告岩井、同佐々木には損害賠償責任がない。

2  好意同乗等による減額

仮に、被告岩井、同佐々木が損害賠償責任を免れないとしても、原告らはいわゆる甲車の好意同乗者であり、また、被告武志が前記のとおり危険な追越を行うのを止めることもできたはずであるから、これらの事情を考慮し、損害賠償額の算定にあたつては減額がなされるべきである。

第五被告らの主張に対する原告らの答弁

いずれも争う。

第六証拠関係〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因一の1ないし4の事実は、当事者間に争いがない(事故の態様については、後記認定のとおりである。)。

第二責任原因

一  運行供用者責任

1  被告実、同武志

成立に争いのない甲第一七号証の六、一四、一五、二一、二二、二四、二五及び被告実本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一) 被告武志は被告実の子であり、同被告らは事故当時同居し、また、同じ造船会社で共に造船工として働いていたもので、被告武志は、被告実の所有する甲車を被告実と共同で使用し、しばしばこれを運転していたこと(被告武志が被告実の子であること、被告実が事故当時甲車を所有していたことは、原告らと同被告らとの間で争いがない。)

(二) 原告藤野は、徳島県美馬郡脇町(以下「脇町」という。)の出身で、本件事故前親せきの結婚式に出席するため、同じ脇町出身で、自分のいとこにあたる原告篠原と共に帰郷したものであるが、本件事故の前日である昭和四七年四月六日夜、昔の同級生で以前より親交のあつた亡柳宅を訪れたところ、既に原告篠原も同所に来ており、その夜原告らは共に亡柳宅に一泊するに至つたこと

(三) 亡柳は、右六日夜、久し振りに原告らに会えたので、この機会に原告らを誘つて日帰りで高知県方面へ遊びに行こうと思い立ち、夫の訴外柳忠一(以下「訴外忠一」という。)に自動車の手配を頼んだが、タクシー会社に電話が通じなかつたため、訴外忠一は、自宅の向かい側に居住し、近所付合いのあつた被告実宅へ赴き、同被告及び被告武志に対し、亡柳及び原告ら(以下「亡柳ら三名」ということがある。)を甲車に乗せて高知県方面へ運転していつてくれるように頼んだこと、その結果、被告武志が訴外忠一の頼みを受けて、翌七日亡柳ら三名を甲車に乗せて高知県方面へ運転していくことになり、被告実もこれを了承したこと

(四) 原告らは、事故当日の朝亡柳から高知県方面へ遊びに行こうと誘われ、自動車も用意されていると聞いて亡柳の誘いに応じ、同人と共に高知県方面へ遊びに行くこととし、被告武志の運転する甲車に、亡柳と共に同乗し、脇町を出発して高知県の龍河洞へ向かう途中、本件事故に遭つたものであること

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。右認定の事実によれば、被告実は、甲車を所有する者として、また、被告武志は、甲車を被告実と共用し、かつ、事故当時同車を運転していた者として、いずれも事故当時自賠法三条の運行供用者たる地位を有していたものというべきである。

もつとも、被告実、同武志は、事故当時、被告実は甲車を亡柳ら三名の旅行目的のために無償で貸与したことにより運行供用者たる地位を失い、被告武志も亡柳ら三名の指示の下に甲車を運転していたというにすぎないから、右被告両名はいずれも事故当時運行供用者たる地位を有せず、あるいは、少なくとも原告らとの関係では運行供用者責任を負わない立場にあつた旨主張するが、前認定のとおり、事故当時甲車を運転していたのは、被告実の子であり、平生同被告と甲車を共用していた被告武志であつたこと、亡柳ら三名の甲車を利用した旅行は日帰りのもので、行先も限定されていたこと、訴外忠一、亡柳と被告実、同武志とは、道路をはさんだ向かい同士に住んでおり、近所付合いもあつたこと、他方、原告らは、あらかじめ亡柳と共同で旅行計画を立てていたわけではなく、事故当日になつて亡柳に誘われ、訴外忠一及び亡柳により用意されていた被告武志運転の甲車に同乗するに至つたものであること等の事情を考え合わせると、被告実、同武志は、共に好意の情から事故当日亡柳ら三名を同乗させて甲車を運行させたものと解するのが相当で、一時的にもせよ、右被告両名が甲車に対する支配権を失い、右支配権が原告らに移つたものとは到底認め難いところであり(前認定の被告武志が亡柳ら三名を乗せて甲車を運転するに至つた経緯等からすると、被告武志は、事故当日一応亡柳ら三名の行先等の指示に従つて甲車を運転することになつていたものと見ることができるが、進んで、亡柳ら三名が被告武志の運転に対し、これを指揮、監督しうる地位にあつたと認めるに足りる事情が存しない本件において、被告武志が亡柳ら三名の支配の下に、単なる自賠法上の「運転者」として甲車を運転していたと解するのは相当でない。)、被告実、同武志は、原告らとの関係においても運行供用者責任を免れないものというべく、右被告両名の前記主張は、理由がない。従つて、被告実、同武志は、後記免責の抗弁が認められない限り、いずれも自賠法三条により、本件事故による原告らの損害を賠償する責任がある。

2  被告岩井、同佐々木

成立に争いのない甲第一七号証の七、九、一〇、一六、及び弁論の全趣旨によれば、被告佐々木は、高知県香美郡土佐山田町において、「佐々木モータース」の名で自動車修理販売店を経営しており(被告佐々木が事故当時自動車修理販売店を経営していたことは、原告らと被告岩井、同佐々木との間に争いがない。)、本件事故の二〇日ほど前に、被告岩井から自動車を買い入れたい旨の申込を受けたが、その際右申込に合う自動車が手元になかつたので、それが入手できるまでの間、自己所有の乙車を代用車として被告岩井に貸与していたこと、被告岩井は、右代用車として被告佐々木から借り受けた乙車を使用していたが、事故当日同車で友人らとドライブ旅行に行くことにし、自らが同車を運転し友人らを同乗させて高知県から高松市方面へ向け進行中本件事故を起こしたものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、被告佐々木は、乙車を所有する者として(右認定のとおり、被告佐々木は、被告岩井が買い入れを申し込んだ自動車が入手できるまでの短期間、暫時乙車を被告岩井に代用車として貸与していたにすぎないから、被告佐々木は、右被告岩井への乙車の貸与によつては同車の運行供用者たる地位を失わなかつたものというべきである。)、また、被告岩井は、事故当時乙車を運転し自己のために使用していた者として、いずれも事故当時自賠法三条の運行供用者たる地位を有していたものというべきであり、従つて、被告岩井、同佐々木は、後記免責の抗弁が認められない限り、同条により本件事故による原告らの損害を賠償する責任がある。

二  免責の抗弁

前掲甲第一七号証の七、二四及び同号証の九、一〇、二一、二二の各一部、成立に争いのない甲第一七号証の八、一一、一二及び同号証の一三、二七、二九、三〇の各一部並びに証人山本正人の証言、被告岩井本人尋問の結果の各一部、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  本件事故現場付近の道路(以下「現場道路」という。)は、おおむね北東(高松市方面)から南西(高知市方面)に伸びる幅員七・一メートルの歩車道の区別のない道路で、道路のほぼ中央に敷かれたセンターラインの標示により高松市方面行車線(以下便宜上「東行車線」という。)と高知市方面行車線(以下便宜上「西行車線」という。)とに分けられていること、また、路面はコンクリート舗装が施され、ほぼ平たんな状態であること、現場道路の南東側路外には山が迫つていて、道路との境にコンクリート擁壁があり、北西側路外の地面は全体的に道路面より低くなつており、道路との境にはガードレールが設けられていること、現場道路における車両の最高速度は特に制限されていないこと、また、現場道路は、事故当時は追越禁止区域に指定されていなかつたが、本件事故の一か月ほど後に追越禁止区域に指定されたこと、現場道路は事故当時降雨のため路面が濡れ、車両のタイヤがスリツプして横滑りを起こしやすい状態にあつたこと。

2  現場道路を高知市方面から高松市方面に向け進行する車両(以下「東行車両」といい、反対方向に進行する車両を「西行車両」という。)から見ると、現場道路は、後記の甲乙両車の衝突地点(甲第一七号証の一三の現場見取図の×点)(以下「衝突地点」という。)の一二・七メートル高知市寄りの北西側道路際にある電柱の前付近で左に約二〇度の角度で緩やかにカーブし、その先(高松市寄り)は、一〇〇メートル以上にわたりきわめて緩やかな右カーブが続いていること、そのため、道路南東側に存する山及びコンクリート擁壁並びに北西側に存する前記電柱及び同電柱の脇にある訴外佐藤みどり方家屋が障害物となつて、現場道路前方の見通しは、東行車両、西行車両いずれからも悪くなつていること

3  被告武志は、甲車を運転し西行車線内を高知市方面へ向かい進行中、衝突地点の約五〇〇メートル手前で同一方向に進行する川西車に追い付いたが、対向車があつたうえ同所が追越禁止区域に指定されていたため、そのまま時速約四〇キロメートルの速度で川西車に追従して進行を続けたところ、衝突地点の一〇〇メートル余り手前に追越禁止解除の標識があり、かつ、前方を見たところ対向してくる東行車両が見当たらなかつたので、衝突地点の約一〇〇メートル手前から時速約五五キロメートルに加速して時速約四〇キロメートルの速度で進行していた川西車の追越を開始し、自車を東行車線内に進入させ左車輪がほぼセンターライン上に乗る程度の状態で進行を続け、衝突地点の約一六~一七メートル手前でほぼ川西車と並進状態になつたが、その直後、衝突地点の一二・三メートル手前で東行車線内を対向して進行してきた乙車を約三〇メートル前方にはじめて発見し、あわてて左に急転把して乙車との衝突を回避しようとしたが及ばず、自車前部がようやく西側車線内に戻つた状態の時に、自車右前部を乙車の前部中央付近に衝突させたこと、更に、甲車は、右衝突後乙車によつて高松市寄りに押し戻されるような格好になり、その左後部が後ろに停車した川西車の左前部に衝突したこと、被告武志が川西車の追越を開始した地点付近からの前方の見通しは、約一〇〇メートルであること

4  被告岩井は、乙車を運転し、東行車線内を高松市方面へ向かい進行し現場道路に差し掛かつたものであるが、前記佐藤みどり方前路上に達する手前で対向して進行してくる川西車を認めたものの、そのまま東行車線内のセンターラインぎりぎりのところを時速約六〇キロメートルの速度で直進し続けたところ、丁度右左藤方前付近(衝突地点から約一八~一九メートル手前)の地点で、はじめてほぼ川西車と並進状態で東行車線内を進行してくる甲車を約三十数メートル前方に発見し、衝突の危険を感じて直ちに急制動の措置を講じたが、前記のとおり路面が濡れてタイヤがスリツプしやすくなつていたうえ、高速で進行していたため、乙車は進路右側へ横滑りする状態で進行したこと、そして、急制動の措置を講じた場所が乙車から見て左にカーブを始める地点付近にあたり、しかも、当時乙車がセンターラインぎりぎりのところを進行していたため、乙車は、急制動の措置が講じられた直後に西行車線内に進入してしまい、結局、前記のとおり西行車線内に戻ろうとした甲車とセンターラインより約五〇センチメートル西行車線内に入つた地点付近で衝突したものであること、東行車線内を進行中の東行車両からは、衝突地点より約三八~三九メートル手前の地点まで接近しないと追越などにより東行車線内を進行してくる西行車両を容易に発見しえない状況になつていること

5  甲車の車幅は一・二九五メートル、車長は二・九九五メートル、乙車の車幅は一・五九五メートル、川西車の車幅は一・二九五メートル、車長は四・一五メートルであつたこと

以上の事実が認められ、甲第一七号証の九、一〇、一三、二一、二二、二七、二九、三〇及び証人山本正人の証言、被告岩井本人尋問の結果中右認定に沿わない部分は、前掲各証拠に照らし採用しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実にもとづいて、まず、被告武志の過失の有無を判断するに、同被告は、前方の見通しが約一〇〇メートルの場所で川西車を追い越そうとしたものであるが、前認定の追越開始時の川西車の速度、追越時の甲車の速度、甲車、川西車双方の車長、必要な車間距離の程度(雨で濡れたコンクリート舗装路の摩擦係数を〇・七とすると、時速四〇キロメートルで進行する場合一七~一八メートルは必要であつたと解される。)等を勘案すると、経験則上甲車が川西車の追越を開始してから完全に追越を完了するまでに少なくとも一五〇メートル以上の距離を要する(摩擦係数を〇・五とすると車間距離の程度は少くとも約二一メートルは必要であるから同係数が〇・七の場合以上の距離を要する。)状況にあつたと解されるところ、前認定の甲車、川西車双方の車幅と現場道路の幅員からすると、甲車が現場道路において川西車を追い越す際には、ほぼ追越開始直後からその完了直前まで継続して、車体を相当東行車線内にはみ出させて進行せざるを得ない状況にあつたことは明らかであり(現に、前認定のとおり、甲車は川西車を追い越す際ほとんどその車体を東行車線内に進入させていた。)、そうすると、東行車線内を進行してくる対向車との衝突を未然に防止するために、被告武志としては、追越に要する距離より前方の見通し可能な距離の方がはるかに短い現場道路では、川西車の追越を差し控えるべき注意義務があつたにもかかわらず、右注意義務に違反して川西車の追越を行つたものというべきところ(なお、対向車が停止していない限り、追越開始時には追越完了予定地点より先の道路にいた対向車が、追越継続中に追越完了地点より手前に進行してくることになるであろうから、被告武志が川西車の追越を安全に行うためには、実際には追越に必要な距離の二倍程度まで前方の見通しが効く場所で追越を行う必要があつたといえる。)、前認定のとおり、被告岩井は、東行車線内に大きくはみ出して進行してくる甲車を発見しあわてて急制動の措置を講じたため、乙車を西行車線内に進入させるに至つたもので、現場の道路状況、被告岩井の衝突前の運転状況からすると、甲車が東行車線内に進入せず従つて被告岩井が右の急制動の措置を講じないまま乙車を進行させたとすれば、乙車が西行車線内に進入して同車線内を進行してくる対向車と衝突を起こす危険性はなかつたと推認するのが相当であるから、被告武志の右注意義務違反の過失と本件事故との間には相当因果関係があるものというべきである。

次に、被告岩井の過失の有無を判断するに、前認定のとおり、被告岩井の進行方向からは、訴外佐藤みどり方等が障害物となり、殊に前方の自車線に対する見通しが悪いが、衝突地点の三八~三九メートル手前付近まで進行すると前方の自車線に対する見通しが効く状況になるものであるところ、被告岩井が甲車を初めて発見した時、甲車は既に川西車をほぼ並進する状態にあつたのであり、この事実に、甲車が川西車の追越を開始した地点及び甲車の進行状況をも勘案すると、被告岩井は、前方を注視していれば、少なくとも前方の自車線に対する見通しが効く状況になる右衝突地点の三八~三九メートル手前付近から、自車線内にはみ出して進行してくる甲車を認めることができたものと推認するのが相当であり(以下、右乙車が初めて甲車を発見しえた地点を「発見可能地点」という。)当時の道路状況乙車の速度から、乙車が急制動の措置を講じた際の制動距離は、摩擦係数を〇・七とすれば空走距離を含め約三三メートル前後になり、しかも、甲車が乙車との衝突時にはその前部を既に西行車線内に戻していたことをも併せ考えると、被告岩井が発見可能地点で甲車を発見し直ちに急制動の措置を講じていれば、乙車は甲車との衝突を回避しえたのではないか従つて、被告岩井には前方不注視の過失があり、そのため本件事故が生じたのではないかとの疑問が生じる。しかし他方、被告岩井に前方不注視がなく、乙車が衝突地点の手前で停止しえたとしても、同車が路面湿潤と急制動のため横滑りしてその進行方向の左側に移動することもありうるがまた、反対に右側に移動して西行車線内に進入してしまうこともあり、この場合は同車線内へ戻つてくる甲車と衝突を起こす可能性が大きいと解されるところ(なお、急制動により右側へ横滑りを始めた車両が左転把されると、横滑りが更に激しくなる可能性が強いといえるから、左転把により甲車との衝突を回避することは困難であると解される。)左右いずれに横滑りするかはこれを判断するに足りる資料のない本件においては五分五分の可能性があると解せざるえず、従つて、被告岩井が発見可能地点で甲車を発見して直ちに急制動の措置を講じても、甲車と乙車との衝突の可能性は少なからずあると考えられ、そうである以上、被告岩井に前方不注視があつても、ただちにこれと本件事故発生とを結び付けるわけにはいかない(なお、摩擦係数を〇・五とすれば制動距離は約四一メートルとなり衝突の可能性は極めて大きい。)。そこで次に、急制動の措置を講じる前、現場に差し掛かつた際の被告岩井の運転方法が、当時の道路状況等から見て適切なものであつたかどうかについて考えてみるに、自動車運転者には、進行中の道路の状況(前方の見通し状況、路面の状況、道路幅員、道路の曲折の状況等)を把握し(前掲甲第一七号証の九、被告岩井本人尋問の結果によれば、被告岩井は本件事故前何回となく本件道路を通行してその状況を知つていたものであることが認められる。)、仮に不意の障害物(もつとも、全く予測しえない事態まで想定して運転する必要はない。)に遇し急制動等の措置を講ぜざるを得ない場合に直面しても、右の措置により自車の進路が急激に道路中央方向へ向かうなどして対向車との衝突等の危険を招くことがないように、あらかじめ適切な運転方法を講じながら自車を進行させるべき注意義務が存するものと解するのが相当であるところ、前認定の現場道路の状況からすると被告岩井の進行方向からは、前方の自車線に対する見通しが悪く、しかも、道路幅員からして、その当否はともかく、現場道路付近において追越を敢行する対向車が自車線内にはみ出して進行してくる可能性があり(前認定のとおり、現場道路は、事故当時追越禁止区域に指定されておらず、また追越が物理的に困難なほど急激なカーブのある道路でもなかつたのであるから、前記のとおり被告武志の運転が現場道路での追越回避義務に違反するものであつたからといつて、たやすく「信頼の原則」を適用し、被告岩井においては、東行車線内にはみ出して進行してくる対向車のないことを信頼して運転していれば足りたと解するのは相当でない。)、従つて、急制動の措置により右のような追越車両との衝突を回避しなければならない事態の起こることも予想される状況にあつたのであり、また、路面が濡れていてタイヤが横滑りを起こしやすいうえに、衝突地点付近で道路が左にカーブしているため、直進状態でカーブに差し掛かつても、カーブに入ると車体が自然に道路中央方向へ進出してしまう状況にあることも認識しえたのであるから、被告岩井としては、急制動の措置を講じても、自車が横滑りするなどして道路中央方向へ進出し、それにより対向車との衝突等の危険を招くことがないように、少なくとも衝突地点付近の左カーブの手前に差し掛かつた際には、十分減速するとともに自車をできるだけ東行車線内の左寄りに寄せて進行を続けるべき(前認定の現場道路の状況等からして、被告岩井が東行車線内の左寄りを進行するにつき特段の支障はなかつたものと認められる。)注意義務(以下「安全運転義務」という。)があつたにもかかわらず、被告岩井は、右注意義務に違反し、前認定のとおりほぼ法定の最高速度で、かつ、センターラインぎりぎりのところを進行したため、甲車を発見し急制動の措置を講じた際車体を道路中央方向へ進出させて甲車を衝突したものというべきところ、前認定の現場道路の状況をも勘案すると、被告岩井に右安全運転義務違反の過失がなく、かつ、同被告が前記の発見可能地点で甲車を発見して急制動の措置を講じていれば、車体を道路中央方向へ進出させることなく、自車を道路左寄りに停止させることができたものと推定すべく(仮に発見可能地点において乙車が時速五〇キロメートルまで減速していたとすると、同車の制動距離は、摩擦係数を〇・七として空走距離を含め約二五メートル前後となるから、丁度左カーブの始まる地点付近で停止することができたものと推定される。なお逆にいえば、被告岩井は、カーブに入ると車体が自然に道路中央に進出するのを防ぐため、発見可能地点において自車を時速五〇キロメートル程度にまでは減速させておくべきであつたといえる。なお、摩擦係数が〇・五の場合も制動距離は約三〇メートルとなつて大体において問題はないとみてよい。もつとも、時速五〇キロメートルの速度で急制動の措置を講じた場合に車体の横滑りが起こらないかどうかにはなお疑問があり、安全運転のためには実際には時速五〇キロメートルより若干減速して進行すべき必要性があるものと考えられる。)、右推定事実に前認定の甲乙両車及び川西車の各車幅(三車両合計で約四・二メートル)現場道路の幅員(東行、西行両車線合わせて七・一メートル)、甲車の実際の進行状況や前掲甲第一七号証の八・二一、二二、二七によれば、訴外川西は、甲車が川西車の追越を開始する前から西行車線内の左寄りを進行していたものであり、かつ、甲車が追越を行う場合には、更に進路を左寄りにしないしは減速するなどしてすみやかに甲車に追越を完了させるつもりであつたと認められることをも併せ考えると、被告岩井に安全運転義務違反及び前方不注視の過失がなければ、甲車は、衝突地点の手前東行車線内左寄りに停止する乙車と西行車線内に左寄りを甲車より低速で進行する川西車との間を縫つて、本件事故の場合のようにかなり急激な左転把を行うこともなく西行車線内に戻り進行を続けることができ、従つて、甲車と乙車ないしは甲車と川西車の衝突、あるいは、甲車の道路南東側コンクリート擁壁との衝突はすべて回避されえたものと考えるのが相当であるから、被告岩井の安全運転義務違反及び前方不注視の過失と本件事故との間には相当因果関係があるものというべきである。

以上のとおり、被告武志、同岩井には、いずれも本件事故と因果関係のある過失の存することが認められるから、その余の点について判断するまでもなく、被告ら四名の免責の抗弁は、いずれも理由がない。

第三損害

一  原告藤野

1  受傷、治療経過等

成立に争いのない甲第一ないし第七号証、第一七号証の二〇、原告藤野本人尋問の結果によれば、請求原因三1(一)(1)の事実、同(2)の入院の事実及び原告藤野が昭和四八年一月一九日から昭和四九年五月二九日までの間に二九〇日大阪厚生年金病院に通院し、その後も昭和五〇年四月ころまで同病院に通院していたこと並びに同原告に後遺症として、左股、膝、足関節運動制限(股関節の可動範囲は、正常可動範囲の四〇パーセント前後(屈伸の場合)ないし五五パーセント前後(内外転、内外旋の場合)で、膝・足関節の可動範囲は、正常可動範囲の八〇パーセント前後である。)、涙管障害による左眼からの流涙、左鎖骨骨折部突出変形(裸体になるとわかる程度)の後遺障害が残つた(右症状は昭和四八年一二月二八日ころ固定したが、左大腿骨には、未だに治療の際挿入したくぎが入つたままになつている。)ことが認められる。

2  治療関係費

(一) 入院諸雑費 一一万二八〇〇円

原告藤野が二八二日間入院したことは前認定のとおりであり、生活の本拠が大阪にあるにもかかわらず、受傷状況から事故発生地近くの三好病院に入院せざるを得なかつた事情をも考慮すると、経験則上、同原告は、右入院中一日四〇〇円の割合による合計一一万二八〇〇円の入院雑費を要したものと認めることができる(右金額を越える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。)。なお、同原告は輸血者に対する謝礼金として一一万九〇八〇円を要した旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

(二) 入院付添費 一九万〇九三六円

前掲甲第一号証、原告藤野本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第一四号証の一、二によれば、原告藤野は、前記入院期間のうち昭和四七年四月六日から同年六月二〇日までの七六日間付添看護を要し、その間職業付添婦の付添を受け、合計一九万〇九三六円の看護料等の支払を余儀なくされ(右甲第一四号証の二によれば、同原告は、昭和四七年四月二〇日から同年九月一一日までの看護料等として三五万四五三〇円の支払をしていることが認められるが、このうち本件事故と相当因果関係の認められるのは、四月二〇日から六月二〇日まで六二日間分の日当(日額欄に記載)、紹介手数料と受付手数料、旅費の合算額(一六万三四一六円)と解するのが相当である。)、同額相当の損害を被つたことが認められる。右金額を越える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

(三) 交通費

前記通院のための交通費についてはこれを認めるに足りる証拠はない。また、原告藤野が三好病院退院の際帰宅するのに要した交通費については、その金額を認定するに足りる証拠がなく、それに、前記第二の一1中に認定したとおり、同原告は、一時的に徳島県方面へ帰宅していたものであり、本件事故がなくても早晩大阪の住居地に戻る予定であつたと推認するのが相当であるから、同原告としては、進んで右退院のために通常の場合より多額の交通費を要したことを立証する必要があると解されるところ、右の点を認めるに足りる証拠はないから、いずれにしても、右退院の際の交通費についての原告藤野の請求は認められない。

3  逸失利益

(一) 休業損害 二七万八〇五七円

原告藤野本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第一一、第一三号証、弁論の全趣旨並びに経験則によれば、原告藤野は、事故当時安田生命及び富士火災に保険外交員として勤務し、昭和四六年度においては、安田生命から年間一六四万八四八七円、富士火災から年間五九万八五九九円の各給与支払を受けたこと、同原告は、右給与を得るため右支給額の四四パーセント程度にあたる経費を支出したこと、同原告は、本件事故当日から昭和五〇年一月ころまで休業した(その間、昭和四七年一〇月三一日には富士火災を退職した。)ことが認められるが、前認定の同原告の治療経過、受傷、後遺障害の部位、程度に保険外交員の職務内容(足にかかる負担が大きい。なお、前掲甲第五号証、成立に争いのない甲第一八号証、原告藤野本人尋問の結果によれば、原告には本件事故前から右股関節に骨性強直の障害が存したことが認められるから、同原告の場合、左足にかかる負担は、通常人より一層大きかつたと解される。)をも併せ考慮すると、右休業期間のうち昭和四七年四月六日から症状固定日である昭和四八年一二月二八日までの六二二日間の休業は、同原告にとりやむを得ないものであつたというべきであり、従つて、本件事故と相当因果関係の認められる同原告の収入喪失額は二一七万八八七二円となるところ、同原告本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第一〇、第一二号証並びに弁論の全趣旨によれば、同原告は、本件事故と相当因果関係の認められる右六三二日間の休業期間中少なくとも安田生命から合計一七一万二〇二八円(右甲第一〇号証記載の昭和四七年四月支給分は、支給金額一五万五五〇九円の三〇分の二五と、また、昭和四八年一二月支給分は、支給金額六万五九八七円の三一分の二八として計算)、富士火災から合計一八万八七八七円(右甲第三号証記載の昭和四七年四月支給分は、支給金額五万六二五一円の三〇分の二五として計算。)の各支給を受けたことが認められるから、これを右収入喪失額より差し引くと、同原告の被つた休業損害額は二七万八〇五七円となる。

(算式)(一、六四八、四八七+五九八、五九九)×(一-〇・四四)×六三二÷三六五=二、一七八、八七二二、一七八、八七二-(一、七一二、〇二八+一八八、七八七)=二七八、〇五七

(二) 将来の逸失利益 四三二万五四五一円

前掲甲第一号証によれば、原告藤野は、大正八年三月一二日生まれであることが認められ、経験則上、同原告の稼働可能期間は、昭和四八年一二月二九日から一三年間で、事故がなければその間前記昭和四六年度の収入(年額一二五万八三六八円)と同額程度の収入を得ることができるはずであつたと解されるところ、前認定の同原告の受傷、後遺障害の部位、程度に同原告の従事する職種をも併せ考えると、同原告は、右全稼働可能期間を通じその労働能力を三五パーセント喪失したものと認められるから、同原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式より年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、四三二万五四五一円となる。

(算式)一、二五八、三六八×〇・三五×九・八二一=四、三二五、四五一

4  慰藉料

本件事故の態様、原告藤野が甲車に同乗するに至つた経緯、同乗の目的、同原告の受傷、後遺障害の部位、程度、治療経過、同原告の年齢その他諸般の事情を考え合わせると、同原告が被告実、同武志に対し請求しうる慰藉料額は一七〇万円、被告岩井、同佐々木に対し請求しうる慰藉料額は二四〇万円とするのが相当であると認められる。

二  原告篠原

1  受傷、治療経過等

成立に争いのない甲第一五号証の一ないし六、第一七号証の一九、原告篠原本人尋問の結果によれば、請求原因三2(一)の(1)、(2)の事実(ただし、(2)のうち町田整形外科病院への通院については、昭和四八年七月一八日から昭和四九年六月八日までの間に五七日行われたことが認められるが、その後の通院事実については、これを認めるに足りる証拠がない。)及び原告篠原に、後遺症として、左眼視力障害(矯正視力〇・五。なお、矯正は、コンタクトレンズによつてのみ可能であるところ、原告篠原本人尋問の結果によれば、同原告は、コンタクトレンズの挿入及び着用の際眼が痛むため、実際にはコンタクトレンズの使用を控えていることが認められるが、右の眼痛が眼やその周辺部の異常のため生ずるものと認めるに足りる証拠はなく、コンタクトレンズ着用に不慣れなために眼痛が生じている可能性もあるから、右事実のみによつては、同原告にとりコンタクトレンズによる視力矯正が将来にわたり客観的に不可能ないしは著しく困難であると判断することはできず、従つて同原告に矯正不能の視力障害が残つたと解するのは相当でない。)、左膝関節運動制限(可能範囲は、正常可動範囲の八〇パーセント前後)の後遺障害が残つた(右症状は、昭和四九年六月八日ごろ固定した。)ことが認められる。

2  治療関係費

(一) 治療費 三九万六六二六円

成立に争いのない甲第一五号証の七、八によれば、原告篠原は、三好病院分三八万七五〇七円、大森赤十字病院分九一一九円、合計三九万六六二六円の治療費を負担し、同額相当の損害を被つたことが認められる。なお、同原告の主張する町田整形外科病院の治療費を負担した事実については、これを認めるに足りる証拠がないので、この部分についての同原告の主張は認められない。

(二) 入院諸雑費 一四万二九〇〇円

原告篠原が三好病院に三三七日間、町田整形外科病院に二七日間それぞれ入院したことは前認定のとおりであり、このうち三好病院入院については、生活の本拠が東京にあるにもかかわらず、受傷状況から事故発生地近くの同病院に入院せざるを得なかつた事情をも考慮すると、経験則上、同原告は、三好病院入院中は一日四〇〇円、町田整形外科病院入院中は一日三〇〇円の割合による合計一四万二九〇〇円の入院雑費を要したものと認めることができる(右金額を越える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。)なお、同原告は輸血者に対する謝礼金として七万円を要した旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

(三) 入院付添費 五〇万九五六八円

前掲甲第一五号証の一、二、五、原告篠原本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第一六号証の一ないし九、一一、一二、一九によれば、原告篠原は、前記入院期間のうち昭和四七年四月六日から同年九月一九日まで(三好病院入院中)及び昭和四八年八月八日から同月二一日まで(町田整形病院入院中)の合計一八一日間付添看護を要し、その間職業付添婦の付添を受け、合計五〇万九五六八円の看護料等の支払を余儀なくされ(右甲第一六号証の一二によれば、同原告は、昭和四七年九月分の看護料として七万八〇〇〇円の支払をしていることが認められるが、このうち本件事故と相当因果関係の認められるのは、右金額の二六分の一九にあたる五万七〇〇〇円と解するのが相当である。)、同額相当の損害を被つたことが認められる。右金額を越える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

(四) 交通費

前記通院のための交通費についてはこれを認めるに足りる証拠はない。また原告篠原が三好病院退院の際帰宅するのに要した交通費についてはその金額を認定するに足りる証拠がなく、それに、前記第二の一1中に認定したとおり、同原告は、一時的に徳島県方面へ帰郷していたものであり、本件事故がなくても早晩東京の住居地に戻る予定であつたと推認するのが相当であるから、同原告としては、進んで右退院のために通常の場合より多額の交通費を要したことを立証する必要があると解されるところ、右の点を認めるに足りる証拠はないから、いずれにしても、右退院の際の交通費についての原告篠原の請求は認められない。

3  逸失利益

(一) 休業損害

前認定の原告篠原の治療経過、前掲甲第一五号証の一、原告篠原本人尋問の結果及びこれにより成立を認めうる甲第一五号証の九並びに経験則によれば、原告篠原は事故当時五八歳(大正三年三月二五日生)で、篠原洋品店(経営者訴外篠原クマ。ただし、篠原クマが高齢のため、同原告が事実上同店の経営、管理を行つていた。)に勤務するとともに、篠原家の主婦として稼働し、昭和四七年賃金センサス学歴計五〇ないし五九歳女子労働者の平均給与額(年額七〇万四八〇〇円)と同額程度の収入を得ていたが、本件事故により、昭和四七年四月六日から昭和四八年三月八日まで及び昭和四八年八月六日から同年九月一日までの合計三六四日間休業を余儀なくされ、その間合計七〇万二八六九円の収入を失いまた同原告の前記受傷の程度、部位、治療の経過からすれば、同原告は、昭和四八年三月九日から症状の固定した昭和四九年六月八日までその労働能力を三〇パーセント喪失したものと認められるから、その間二四万九〇九三円の収入を失つた(合計九五万一九六二円)ことが認められる。

(算式) 七〇四、八〇〇×三六四、三六五=七〇二、八六九 〈1〉

七〇四、八〇〇÷三六五×〇・三×(四五七-二七)=二四九、〇九三 〈2〉

〈1〉+〈2〉=九五一、九六二

(二) 将来の逸失利益 五七万九五九九円

前認定の原告篠原の年齢及び経験則によれば、同原告の稼働可能期間は、昭和四九年六月九日から七年間で、事故がなければその間右休業期間中と同額程度の収入を得ることができるはずであつたと解されるところ、前認定の同原告の受傷、後遺障害の部位、程度によれば、同原告は、本件事故による後遺障害のため、右全稼働可能期間を通じその労働能力を一四パーセント喪失したものと認められるから、同原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、五七万九五九九円となる。

(算式) 七〇四、八〇〇×〇・一四×五・八七四=五七九、五九九

4  慰藉料

本件事故の態様、原告篠原が甲車に同乗するに至つた経緯、同乗の目的、同原告の受傷、後遺障害の部位、程度、治療経過、同原告の年齢その他諸般の事情を考え合わせると、同原告が被告実、同武志に対し請求しうる慰藉料額は一二〇万円、被告岩井、同佐々木に対し請求しうる慰藉料額は一七〇万円とするのが相当であると認められる。

第四好意同乗等

被告武志、同実は、原告らは同被告らと共同の運行供用者であつたと主張するが、そうでないことはさきに第二の一1で述べたところから明らかであり、また、被告らは、原告らが事故当時被告実、同武志の好意により無償で甲車に同乗させてもらつていたことなどの事情を考慮し、原告らが被告らに対し請求しうる損害賠償額を減額すべきである旨主張するが、前記第二の一1認定の原告らの甲車に同乗するに至つた経緯(原告らは、被告実、同武志の承諾の下に、亡柳の誘いにより甲車に同乗した。)や事故当日の甲車の運行態様(もつぱら被告武志が運転を行う予定であつた。)等の事情からすると、本件において、原告らの甲車の運行に対する関与の度合が、公平の見地から原告らが被告らに対し請求しうる損害賠償額の全費目にわたつてこれを減額するのを相当とするほど強いものであつたとは認め難く(原告らが被告実、同武志の好意により甲車に無償で同乗中本件事故に遭つたとの事情は、前示のとおり右被告両名に対する慰藉料額の減額事由としてのみ考慮すれば足りるものというべきである。)、また、本件事故の態様事故前の被告武志の甲車の運転状況(本件全証拠によるも、被告武志が事故現場に至るまでの間危険な運転を行つていたとは認められない。)等に照らしても、甲車に同乗していたに過ぎない原告らに、事故直前被告武志が川西車の追越を行つた際これを制止すべき義務が存したとは到底いえず、この点に関する被告岩井、同佐々木の主張は採用することができず、証拠上他に損害賠償額の算定にあたりこれを減ずべき事情の存することも認められないから、被告らの前記主張は、いずれも理由がない。

第五損害の填補

請求原因四の事実は、当事者間に争いがない。

よつて、原告らの前記損害総額からそれぞれの填補分(原告藤野は一九五万円、原告篠原は一三八万円)を差し引くと、被告実、同武志に対し請求しうる残損害額は、原告藤野については四六五万七二四四円、原告篠原については二四〇万〇六五五円、被告岩井、同佐々木に対し請求しうる残損害額は、原告藤野については五三五万七二四四円、原告篠原については二九〇万〇六五五円となる。

第六弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告らが被告らに対し本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、原告藤野については五〇万円、原告篠原については三〇万円とするのが相当であると認められる。

第七結論

よつて、被告実、同武志は、各自、原告藤野に対し、金五一五万七二四四円及びうち金四六五万七二四四円に対する本件不法行為の日の翌日である昭和四七年四月七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、原告篠原に対し、金二七〇万〇六五五円及びうち金二四〇万〇六五五円に対する前同日から支払済みまで前同割合による遅延損害金を支払う義務があり、また、被告岩井、同佐々木は、各自、原告藤野に対し、金五八五万七二四四円及びうち金五三五万七二四四円に対する前同日から支払済みまで前同割合による遅延損害金を、原告篠原に対し、金三二〇万〇六五五円及びうち金二九〇万〇六五五円に対する前同日割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの本訴請求は、右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木弘 大田黒昔生 畑中英明)

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